fc2ブログ
コアラ通信(豪州⇒中国)
豪州の日々から中国の日々に変わりますが。。。引き続きお知らせします。
プロフィール

コアラ剣士(harry shinoda)

Author:コアラ剣士(harry shinoda)
コアラ剣士は、二回目の豪州駐在を終えて、中国(天津)へ渡ります。引き続き、仕事、剣道、ゴルフ、食事等、奮闘の記録をご覧下さい。



最新記事



最新コメント



最新トラックバック



月別アーカイブ



カテゴリ



FC2カウンター



検索フォーム



RSSリンクの表示



リンク

このブログをリンクに追加する



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



QRコード

QRコード



09/10/1(木)日記
「1回目の豪州駐在」

今回は、私にとって2回目のメルボルンです。
1回目は、1990年2月から1997年2月迄滞在していました。
私の家族は、家内と3人の子供ですが、長女は、生後半年から、
7歳迄メルボルンで過ごし、次女、長男は、こちらで生まれました。
ですから、私の家族にとっても第二の故郷とも言うべきところです。
今回は、子供の学校の都合で、単身赴任ですが、しかるべき時期に
彼らも呼び寄せて、当時からの友人、子供達の生まれた病院なども
訪ねてみたいものです。
それでは、1回目の豪州駐在を振り返ってみましょう。

1990年2月にメルボルンに赴任した時は、弊社に現地法人は無く、
欧州系電機メーカー(A社) のスポンサーシップでした。
労働ビザも取れておらず、観光ビザで渡航して来ました。
我社の初代駐在員(技術系)が、A社にお世話になっていたものの、
事情があって帰国する必要が生じた為に、急遽、私が派遣されることに
なったものです。

初代駐在員とオーバーラップしたのは、3日間のみで、到着日、翌日、
帰国日でした。
彼は帰国直前でバタバタしており、引継ぎもほとんど出来ませんでした。
それでも、A社内の机と、車1台(カムリ)を残してくれましたので、
「まあ、どうにかなるか~」という心境でした。

最初の仕事として、重要顧客である自動車メーカーへ赴任の挨拶周りを始めました。
その中で、以下の様なお話を聞くことが出来ました。

・A社のサポートが良くないこと。 
・このままでは、ビジネスを失う可能性があること。
・「A社経由ではなく、弊社が、直接ビジネスをやる気が無いか?」ということ。

赴任前からある程度、想定はしていましたが、これ程、はっきりとご指摘されるとは
思っていなかったので驚きました。
確かに、このままA社経由では、ジリ貧になるのは目に見えていました。
赴任早々に帰任という可能性も大いにありました。

そこで、直ぐに現地法人設立の企画書を作って本社へ送り、交渉開始。
当時は、ややこしい社内手続きも無く、担当役員の即決で、
1週間後には、海外事業担当の常務、営業、技術、サービスの各部長が来てくれました。
現地法人を設立することを前提に、プレゼンテーションを実施し、1年後のビジネス受注を
目指した訳です。
幸い、製品の開発、現地法人設立には、十分に時間があり、日本国内及びグローバルでの
長年の取引関係をご評価頂いたことで、提案をご承認頂くことが出来ました。

直ぐに会社設立を進め、7月には登記を完了しました。
私の事務所は、初期は、CHADSTONE MOTOR INNの1室であり、次は、
親会社のST KILDA事務所の机でした。
10月には、SOUTH OAKLEIの事務所を賃借することとして、本格的な設立準備が始まりました。 

■SOUTH OAKLEIに現存する初代事務所

CIMG2153.jpg

続く
スポンサーサイト





コメント

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


トラックバック
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバック URL
http://koalaten.blog72.fc2.com/tb.php/103-05318fe5